佐賀県武雄市の西川登竹細工は、明治初期に高瀬地区の農家の副業として始まりました。
1909年には西川登竹細工組合が設立され、竹細工職人は500人を超えました。
伊万里 有田焼と肩を並べるほどの名声を博したほど、技術の向上と品質の安定に力を注ぎました。
1933年には、高瀬地区に共同作業所を設け、小学校高等科の課外特別授業としても
取り入れられ、竹細工の認知につながりました。太平洋戦争中は職人が減少したものの、戦後は
500人以上の職人が働く一大竹細工産地となった。しかし1950年代に入り、家具や農具などに
合成樹脂が使用されるようになり、徐々に需要が減り、現在は2事業者が、西川登竹細工の伝統を
受け継いでいます。そのうちの一つ、栗山商店さんにおききしました。
もう一方の名人と言われる87歳の方は今 施設に入っておられ、60代の栗山さんご夫妻のみと
なっています。50代の方が竹細工をやりたいと来られましたが。手を切って帰られたとか。
あと継はいらっしゃらないようです。「50代でも京都の伝統工芸の学校で習って、立派に活躍
されている方にお会いしたことがあります。」というと、大分など伝統工芸の学校で学び
日常品というより、バックを作る。バックのデザインの好みはひとそれぞれだから
なかなか難しい。若い子は竹細工を身につけても、それだけでは食べていけない。アルバイトを
している。昔は、マダケなど竹の葉で、食品を包み、葉っぱは使い捨てにしていました。
それをまた拾って竹の紙を漉いていました。天然循環型の食品包装だったのです。
農家は都市部の「食」を支えています。また都市部の消費者が農家を支えている。
竹の代わりに使われるようになった、便利なプラスチックのフードウエア 食品容器の使い捨ては
50年で海洋汚染など大きな環境問題になってきました。