竹の世界 桂離宮

竹なんかどこにでもある。八幡にも、兵庫にも、滋賀にも。戦後、2回目の御成門の修復をするとき、京都御所でそれまで使っていた土地の真竹を使いなさい。ということになった。御所のお出入りのは、嵯峨から保津の竹である。保津川の奥、亀岡のずっと奥、その辺一帯の竹を使いなさいという。そこで探しにいくと、その竹は「のし」という全体の長さが、伸びが非常に長い。スッーとしている。そしてなかが肉厚である。

昔からその辺の竹を使うようにいわれていた。桂や長岡京、大原野あたりの竹を見たら、肉厚が薄い。木と同じで、土地がいいと早く伸びます。ところが保津のほうはじっくり時間かけてぎゅっと大きくなるので、なかが肉厚で節にも厚みがある。そして5年から7年くらいの成竹を使いなさい。これくらいの年数になると、非常に質が堅くなる。3、4年の若い竹はだめで、とくに3年目は筍が出るから。建物に使う場合は少し年数のたったほうがいい。切るのは秋。冬になると筍をこしらえてしまうので、10月、11月の2ヶ月で切ってしまう。山から出したら、こんどはそれを1ヶ月干す。竹を反対向けにする。根本のほうを上にして水が下へ垂れるようにして立てて、昼は屋内、夜は屋外で一ヶ月干す。

昼間は日差しが強いと具合が悪いから、いっぺん屋内に取り入れて、夜は出す。

雨に濡れないよう、雨が降ってきたら、屋内に取り入れる。

桂離宮にはたくさんの竹を使っている。建物全体の3割くらいは竹である。屋根にも使う。京の職人衆が語る 桂離宮(草思社)

日本建築の美意識は、だいたい6割までが屋根の格好で決まるんですよ。パッと見たときの感じが、それだけのウエートを占めるわけです。

桂離宮の屋根を葺く。御殿群のほうの古書院、中書院、楽器の間、新御殿の屋根。杮葺師の人と一緒に葺くと、葺師は口から機関銃のように竹釘を出して打っていく。出雲の忍者みたいに、尖がった竹釘を吹き矢みたいに口からピシャ、ピシャ、ピシャとものすごい勢いで出して、出した瞬間に板の木目に突き刺さる。口から飛び出したとたん、もう金槌で打ち込んでいる。まるでセンサーが頭の中に入っているようだ。

竹釘の長さは八分から一寸二分くらい。三センチちょっと。檜皮用になると一寸五分という、もう少し長いのがある。

太さは1.5ミリくらい。もう少し太いのもある平べったいのもある。1回に20本、30本口に含む。最近の機械製のはピッと尖がっていない。だから口でやる方が楽だ。自分で作ったのは先まで削って刃がついている。それを使うのを一本ずつ片方の頬へ送って、それを舌の先へまわして出す。その時点でもう舌が痛くなる。口のなかでぐるぐる回すうちにどうしても傷がつく。味噌汁を飲むと染みる。頬ばる竹釘の数は人によって違うが、初心者は少ない。最初は10本だったのが、だんだん増えていって、でも30か40本が限界だ。竹は和包丁とおなじ片刃ですから。竹は皮べ(皮の側)と身のほうがある。皮べの堅いほうを外側(打つ人から見て左側)にして打たないと、スカッと木の目の刺さらない。この竹釘、近所の真竹でつくっていた。割って寸法を決めて切る。そこで5、6本一緒に押さえこんで、削り台のうえで削る。それからこんどは、大きな鉄鍋で炒りあげる。一寸くらいに短く刻んだ竹釘を二升か三升入れて、竹をまとめて縄で巻いたもので、ガラガラまわす。最初のころはなかなかうまく混ざられなかった。一回分がだいたい40分から1時間くらいかかる。お仕舞いのほうになると、シャリシャリといって、カネのような音がする。その火加減がまた難しい。今はもう竹釘を作っていない。全部竹釘は兵庫の業者に注文している。竹釘を機械でやるのと、手でやるのを比べてみた。

打ち付ける相手の木は自然のものだから、木目というのは均等ではない。だから加減がやはりむずかしい。結局、手を使って金槌で打ったほうが早いし、やりやすい。