竹藪も我が家族

寿岳章子

私が京都府乙訓郡向町(今は向日市になっている)に引っ越してきたのは1933年(昭和8年)初夏のことであった。
確かに私たちは、竹の美しさをこの土地を選ぶ原因の一つに致しました。真竹、孟宗竹、漢竹。細い葉。浅い緑。張りを持ったやや固めな葉。濃い緑。若竹が微風の吹くままに靡いているのも素直でかわゆく見えるけれども、思いきり生育しきった古い竹が、激しい八月の太陽の下に、整然と立ち並んでいる美しさはまた格別です。広い藪の中にはいってみますと、一面に緑の蔭と蔭とが静かにもつれ合って落ちついて、がっちり節くれだったその幹の美しさ。それにさあーっと一吹き強く風が来るときの葉ずれの音の快さ。雀ではありませんが、「藪を通ろう」と子どもまで、郵便局のゆきかえりには喜んでこの籔道を歩きます。

鹿児島県にもとても竹藪が多いのに気づいている。そういうわけで、日本中いっぱい竹藪があるのだ。逆に、かつて京扇子の骨をつくる名人に、扇子の骨の竹の入手にとても苦労する、京都ではもう入手困難で、山陰の方から取り寄せるというような話をうかがったことがある。さらに話を大きくすれば、まさに竹は東洋のシンボルで、日本のみならず、アジア一帯に生い茂る。ヴェトナムの、竹をモチーフにした、それはすてきな詩を昔聞いた。

そういう、どちらかと言えば京都にとって不安な情勢のなかで、京都みずからを作り出すための条件のひとつとして、京都の生活のなかに竹を欠かすことができないと、やはり私は思う。さきにのべた、大学生時代の家への手紙のなかに、「ああなつかしい御両親様、我が弟、向日町の竹やぶ!」というような一節があることを思えば、なつかしい我が家の附近の竹藪はさながらふるさとメンバーだったのだ。それが家族並みだったのだ。思いもかけず深く竹藪は我が心の底に沈んでいるのだった。

竹の最大の魅力は何だろうか。姿の美しさもさることながら、やはりその繊細な音だろうか。こんなに葉と風がよりそって、その優雅な存在を唄い出す植物はほかにない。そして、その極めて薄い葉片が互いに重なり合ってさやさやと鳴るひびきは、胸底にこよなくひそやかに、優美に通うのである。

嵯峨野もまた籔は深い。嵯峨野ということばのひびき、目に見る文字の美しさは、そのまま竹につながる。竹はすばらしい。その生身のしなやかな命の詩の時を終えて、みずからのむくろを人にまかせる。京の町を歩き、ゆかしげな家を訪れると、実に竹がインテリア的に有効に使われているのに吐息が出るほどである。

ふと思う、たとえば、茶道などは竹がなければ成立しないのではないかと。

まず、目には見えないけれども、楽の壁の中に奥深くひそんで、壁の構造を支えている細い竹。そして、素材としてのすばらしさのきわみは茶杓。竹を工芸的に使う極致の作品だ。時には床柱だの、窓格子だの、そしてさまざまなユニークな竹垣。籠に、縁に、あるいは犬矢来。食器もあれば、そよ風を送る団扇の柄。
数得れば指が何本あっても足りない。

節があって、中空で、こういう素材としての竹の特色は、木材では決して得られぬ実用性と芸術性とを兼ね備えて、京の暮らしを豊にしている。

京都のみならず、日本文化の根源には竹が深く関わっているのだ。

竹の百態などとも言えるくらい変化に富む竹の表情。今日も私は、竹のそばを通りながら用達に出かけた。どの竹も私の心にささやきかけた。家族の思い出、自然のたたずまい、竹にまつわるさまざまのお話。かぐや姫はどうして竹の中にいたんだろう。・・・

竹ほどあれこれの思い出を汲み出す植物はない。